「北国の帝王」1973
“男性的映画の巨匠”ロバート・アルドリッチの沢山の代表作のひとつ。長いこと“未だ観ぬ名作”として焦がれていました。リー・マービンとアーネスト・ボーグナインの二人主演。キャストだけで最高濃度。硬派この上ない映画として評判通りのアクションでした。
不思議な映画です。本当にシンプルな筋立て。大抵の映画紹介に記されている要約は概ね以下の通り。
大恐慌の不況が全米を覆った大失業時代。失業者たちは移動手段として無賃乗車を繰り返し、その常習者たちはホーボーと呼ばれていた。鉄道会社はその防止に注力し、ある路線の鬼車掌シャックはホーボーの生命にすら容赦ない取り締まりで恐れられていた。ホーボーたちの中にエースと呼ばれる凄腕の男がいた。エースはシャックの乗務する列車に乗り込み二人は対決することになる…。
男心をくすぐる筋立てにワクワクすると共に、きっと実際の映画には様々な物語背景が描きこまれているのだろうと思っていました、かつて。ところが本編を観て感心します。この粗筋は要約ではなく、映画全編の詳しい表現でありました。本当にこれだけの映画です。なのに見応えたっぷり。ずしんと実の詰まった豊かな映画でした。
鬼車掌を演ずるボーグナイン。凄腕のホーボーを演ずるマービン。いかにも通好みの渋い男優たち。その表情と肉体の軋みがテーマを表現する。映像に物語らせるメディアを味わう喜び。男映画のもうひとりの巨匠、サム・ペキンパーの企画をアルドリッチが引き継いだ作品とのことですが、まあ、どっちが作ってもOK。こんな男たちの姿が最近の映画からは消えています。男性受難の時代なのかもしれません。
この映画の男たちの行動原理は何なのでしょう。映画には主人公たちの過去や心情を説明する無粋なセリフは殆どありません。無賃乗車に取り組む男と、防ぐ男。ただその行動の信念だけがビシビシと伝わってきます。彼らの中にあるモラルの存在が、観客を酔わせます。たかが“キセル”に身体を張り、命を懸け、プライドを賭けて闘う男の姿に酔います。そこに賢しい合理性などありません。
そうです。ストーリーを読んだ誰もが持つ疑問が、合理性の問題です。いかに不況の只中とはいえ、無賃乗車くらいに命とプライドを賭けるのか? しかし、この映画が衝くのはまさにこの一点。名優二人の肉体は、この非合理に説得力を与えます。“人間は合理性だけで生きちゃいないぜ”という心意気の映画なのです。そこにこそドラマのカタルシスは存在し、我々は映画に惹かれて止まない訳です。
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