[TV]「必殺必中仕事屋稼業」1975

以前から観たいと思っていた「キック・アス」2010、予備知識をあまり仕入れず鑑賞。奇妙なバランスの面白い映画でしたが、途中から「これは“必殺シリーズ”のプロットではないか」という考えが頭の中を占有してしまいました。

悶々と平凡な日常を過ごす高校生が仮面のヒーローとして身近に存在する悪と暴力に立ち向かう筋と、巨悪への復讐を宿命として背負った親子がこれまた闇の世界で闘う筋を絡み合わせたユニークなプロット。若者は素人、親子は玄人。「キック・アス」は、その交錯がクライマックスを熱くするという娯楽アクションの王道ではあります。私はアメコミの世界には馴染めないもので、ハリウッド発のこの種の物語にあまり関心はありません。クロエ・モレッツのヒットガールを観るだけで十分面白い映画だと思いますが、これはもう国民性の違いでしょう、積極的に愛好するには至りませんでした。
ということで、日本にも類似の物語を描いたコンテンツはありまして、例えばかつて一時代を築いた“必殺シリーズ”なるTV映画シリーズがありました。一般に世間的人気が高まったのは1980年代の「必殺仕事人シリーズ」を軸とする流れで、これはファンの間で“後期必殺”と呼ばれます。私が非常に惹かれて止まなかったのが1970年代の“前期必殺”でして、この時期のものはどれも高く評価されてしかるべきTV映画だったと思います。その中で、「キック・アス」から連想されたのが1975年に放映された「必殺必中仕事屋稼業」でした(因みに私は両者のプロットが同じと申しているのではありません。エッセンスが似ていると思った次第です)。

必殺シリーズ”のフォーマットは、闇の世界で報酬をもらって法で裁けぬ悪を制裁する殺し屋たちの物語。リアルなドラマというより、“大人のマンガ”風の個性的な娯楽時代劇を目指して制作されました。当時邦画界は斜陽不況の真っただ中で、手間暇のかかる劇場版時代劇映画は激減していました。ならば低予算のTVシリーズに活路を見出そうと、凋落が始まっていた京都の撮影所において若いスタッフが知恵を絞って創作した作品群のひとつです。中でも刺激の強い設定とビジュアルが受け、必殺シリーズはヒットコンテンツとして育っていきます。「必殺必中仕事屋稼業」はその5作目。いろんな試行錯誤を行っていた作品です。
この前期必殺シリーズ、私が思春期に大いに影響されたコンテンツなのですが、中でも記憶に残るのがこの「仕事屋稼業」でした。この作品、実は他のシリーズと大きく異なるキャラクター設定がなされています。後に“仕事人”というマンガチックなイメージが世に定着する“殺しのプロフェッショナル”という特異なスキルの持ち主としての主人公が、本作にはいないのです。例えば緒形拳が演じた半兵衛は博打好きな蕎麦屋のおやじ、林隆三が演じた政吉は博打好きの遊び人。彼らはヒロイックなアクションとはまったく無縁の人生を生きる平凡な市井の男たちでした。それが物語の本筋に引き込まれるなかで、殺しを含む“仕事”という稼業に自分を賭していくプロットが鮮明に描かれました。

本作の全26話、今では一般地上波で再放送されることもありません。非常に優れた作品なので、鑑賞機会が少ないことを残念に思います。さて、前述のように、米国市民にとって、人知れず悪を倒すという大人のマンガはまさにアメコミヒーローの物語です。一方日本人にとってこの種の物語は時代劇ヒーローに込められます。プロットは似ていても、その描写の風合いはまったく異なっていると思います。私が「キック・アス」でそれを痛感したのが、主人公たちが殺しを行う重みや痛みをどう自分に背負わせるか、という一点です。「キック・アス」をご覧の方はお気づきのように、主人公の若者たちはそこにまったくこだわりません。悪人の命を奪うというアクションの必然性は物語にある訳ですが、それでも平凡な市井人がそれを実行する際には、何らか引き換えにするものがあると(日本人は)感じる訳です。それがいかにマンガチックな設定であっても。そこが無かった。潔いくらい全くありません。
この点で「仕事屋稼業」というシリーズは、半兵衛・政吉という市井人が、殺しに手を染めていくことで得るもの失うものを全話を通じて様々な角度から描写していく一貫性を持っていました。それが独特の情緒を生み、たかがTVの娯楽時代劇ながら、私に強い影響を残してくれました。このあたり、日米の娯楽アクションに込める情緒性の違いとして、個人的には興味深いものがありました。