「世の中にたえて桜のなかりせば」2022公開

苦くて辛い世界だけど、上を向いて行こう。

プライベートフィルムのような切実な想いを芯に、商業映画の口あたりの良さを衣にまとわせた料理のような映画。素材の味わいを損なわない配慮の行き届いた調理で、淡く清涼な甘さを、涙の苦さがキリリと引き締めています。

意図されたものでなくとも、”映画俳優・宝田明”の遺作に相応しい80分でした。

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©2021『世の中にたえて桜のなかりせば』製作委員会


製作兼主演の大ベテランがこだわり抜いたテーマに、事実上の商業映画デビューとなる三宅伸行監督が格闘し、これまた映画演技初挑戦のアイドル・岩本蓮花(乃木坂46)が挑戦した。この映画に関わったすべての人が、節度と思いやりを貫いのだろうと感じました。観た人が大切にしたくなる、愛すべき映画になってました。

 

満州に桜はなかったんです」

この台詞の重みを受けとめられる俳優さんが、今の日本に何人いるでしょう。

「行きたくないです、あんな学校なんか」

この台詞にリアルな心情を重ねられるのは、やはり10代のヒロインならでは。

 

翁と少女のささやかな交流。まっすぐなシナリオと演技が心地よい。

シンプルなクライマックスの趣向が効果的に花開く、計算の行き届いた構成と演出。

所謂アイドル映画であり、往年のスターの想い入れの映画であり、観る人すべてに人生への考察と、ほんの少しだけ前を向く勇気を与えてくれる物語。

 

宝田明の俳優(虚像)と実像とが混然一体と表現され、17歳のアイドルの若き潔さが対比されます。相互に触発し合っただろう時間が、フィルムに残っています。素敵なものを垣間見させてもらいました。

 

映画公開直前に急逝された宝田明さん。銀幕の二枚目スターだった1960年代、スケール感豊かなミュージカル俳優にもなった70年代。その後も、大小さまざまな役柄で華やかな存在感を放ち続けました。”エンターテイナーかくあるべし”というサービス精神は、他者への優しさと心配りが本質にあったと思います。

日本映画が斜陽産業化した頃に思春期を迎えた私は、残念ながらその全盛期をオンタイムで体験していません。煌めく作品群に接したのは、後々の時代のことでした。

だからかもしれませんが、颯爽としたイケメンの表情の奥に、微かな陰りを感じていました。ほんの僅かな印象として、記憶の中に残っていました。

10年ほど以前、宝田さんご本人からお聞きした満州引上げ時の経験談。本作にも率直に埋め込まれています。あぁ、あの陰りは、人生が決して口当たりの良いものでないことをご存知故に醸し出されたものではないか、と思い至ったものでした。だからこそ、関わるひとすべてに配慮し、期待以上に楽しませることを信念とされていたのではないか。

今回、宝田プロデューサーは、その人生経験からの真情を『桜の映画』に込めたいと思われたとのこと。クリエイターとしての切実な想いが、このタイミングで結晶化されたのは、何と素敵なことでしょう。ご自身の信念の賜物であり、宝田企画の方々の真摯な成果に他ならないと思います。

 

敗戦直後のこの国にも、今現在のこの社会にも、ひどい出来事は沢山あります。時代それぞれに、ひとそれぞれに。それが人生。それでも、目線を上げて歩いて行こうよ、宝田さんがそう語りかけてきます。辛い思いは絶えない世界だけど、笑顔は忘れないで行こう、と。この映画は私たちへの応援歌ですね。

 

ゴジラ」1954で初主演した映画俳優・宝田明の、キャリアの最後に表現した映画が「世の中にたえて桜のなかりせば」2022だったこと。

ポスターになっているメインビジュアル、ここには往年の大スターの姿はありません。それでも、本作は紛れもなく宝田明の映画です。

とても美しい、と思います。合掌。

 

www.toei-video.co.jp

 

※10年近く更新していなかったのですが、本作を視て、また書きたくなりました。この映画を鑑賞したいと思われる方がひとりでも増えることを願います。

「くちづけ」2013

批判もある映画です。曰く、泣かせようとするあざとい演技が過剰。曰く、舞台そのままで映画としての独自性がない。曰く、結末が評価できない。そもそも知的障害者を涙のネタにしていいのか、等々。
でも私は、この映画を断然支持します。宅間孝行堤幸彦の才気が、このたまらなく切ない悲劇をぬくもりあるコメディで語りきったスタンスを好ましく思います。演劇集団東京セレソンデラックスの舞台は未見、宅間孝行氏の存在にも無頓着だった訳ですが、彼が描くドラマ世界を好ましく思いました。

写真はすべて(C) 2013「くちづけ」製作委員会

この映画はある程度観る人を選びます。いや、観る人の置かれた状況や、障害者が生きる現実をどの程度知っているかによって物語を受けとめる深度や角度が異なります。おそらく障害という当事者性と無縁の観客は、何も考えずに涙に浸れる感動作となるでしょう。それこそが、本作の長所であり短所です。商業的なあざとさに流れれば、確かに鼻持ちならない映画に堕します。また、障害者の家族には必ずしも観たい映画でない場合も多いと思います。
でも、私は、本作の作り手たちに節度を感じます。それはおそらく宅間氏が描いたオリジナルの舞台で既に備わっていたものでしょうし、映画化にあたって堤監督も絶対に外さなかったものでしょう。そこが私の支持の根拠です。

“親なきあと”は、障害児・者を抱く家族にとって永遠のテーマです。商業ベースに乗せられる劇映画で、それを真正面から描き得た作品は決して多くないですし、すべての観客が受けとめることは難しいでしょう。本作は、芝居のケレンを活用することでその難題を辛うじて乗り切ってくれたと思います。キャノンEOS C300という新開発された映画用小型デジタルビデオカメラがセットに入り込むことで生まれる臨場感、宅間氏の舞台的演技と映画俳優陣のリアリズム演技のハイテンションな掛け合わせ、そして昭和歌謡の名曲「グッバイ・マイ・ラブ」の持つ豊かな詩情とメロディが重なって、2時間の映画体験は辛く愉しく心地よいものでした。
私も障害問題の当事者のひとりですが、「ここまで描写してくれてよかった」と思えるシーンがいくつもありました。そこが作者たちの節度であり描写のスタンスだったと思うのです。少なくとも私が不快に思うことはありませんでした。
だって、多くのドラマにおいて障害者は福祉の客体として描かれ、障害の当事者が血を吐くような思いを主体として吐露するものは僅かではないですか。客体であるほうが多数の健常な人々には安定して観られますからね、「可哀想に」と言っていられますから。そういう向きにとって、本作のラストは不快な問題提起になるかもしれません。でも、これも現実です。
お涙頂戴と批判する識者もいるでしょうが、私は本作を観て多くの方に泣いて貰いたいと思います。その多くの涙の中のわずかでも、社会や観客自身にとってプラスに転じる小さな布石になると願えるからです。

かつて作家井上ひさし氏は、黒澤映画LDに添えた「七人の侍」について語った文章の中に以下の一文を記しました。
「すべて偉大な作品は、『どのように状況が悪くても生きることに絶望するな』と、人生という名の涙の谷で、悪戦苦闘を余儀なくされている私たちに励ましを贈ってくれる…」
本作は決して偉大な作品ではないでしょうが、観終わってこの一文を思い出します。絶望の涙を知ることは、希望を生むことにどこかでつながるのではないか、と思います。
ずっと開店休業だったのに唐突な更新ですみません。また時々記すと思います。

「空也上人がいた」2011

“宿命”と“運命”の違いを意識して使う人がどのくらいいるのかわからないように、“事実”と“真実”の隔たりを考えようとする人の数は決して大多数ではないように思う。そんなことに拘ることに大した意味はないだろうと仰る方も少なくないだろうし、第一そんなことに思いを巡らせていても、例えばビジネスの現場は動かない。では、そうした微妙な差異は重要でないかと言えば決してそんなことはなく、人間の生活の肝心なものはそこにこそ漂っているように思う。この世の中に生じている事象はすべて客観的事実の羅列であるけれど、個々の人間がそれを内面で認識する際には主観的な真実として消化するしかなく、ひとりの人間がずっと自分の内に焼き付けた真実の連なりが人生というものかもしれない。
…勤め帰りの車中で本作を一気に読み通した後で、自分の中から出てきた言葉はそういうものでした。

空也上人がいた (朝日新聞出版特別書き下ろし作品)

空也上人がいた (朝日新聞出版特別書き下ろし作品)

もうずっとさぼりがちのブログ更新なので、たまに書き込もうとすると妙に構えてしまい、言葉を紡ぐことに慎重になってしまいます。本当は、「新・悪名」1962か「沓掛時次郎 遊侠一匹」1966について記そうと思っていたのですが、最初の一行がどうしても出て来なくて、結局山田太一氏9年ぶりの小説を読むまで更新ができませんでした。すみません。それらの映画については近いうちに記したいと思います。
中学生活前半という多感な時期にTBSドラマ「それぞれの秋」に気持ちを揺すられて以来、山田太一のシナリオは自分の人格形成に最も影響したもののひとつでした。とはいえいい大人になってしまえば、文学青年・映画青年的な日常から離れて過ごす日々も増え、好きは好きながらどこかで距離を置いている自分になっていたと思います。例えば、氏が木下恵介監督に手向けた弔辞を忘れがたい言葉として諳んじているものの、どこか知が勝っているというか自分の気持ちの根幹から動くものでない表面的なものだったような気がします(そういう物言い自体が氏の影響というものでしょうが)。「空也上人がいた」という小説を読むことで、改めて自分のそうした気分を掴むことができたようです。
“事実”を“真実”として内面に焼き付ける光は感情なのだろうと思います。感情によって事実を受け止めると、それは相当歪な形になっているはずで、だからこそ人間の記憶は人格や個性を形作ります。
この小説が心地よくも力を持っているのは、そうした事実と真実の間にあるものを丁寧に掬い取ってドラマを凝縮していること。しかも年齢を重ねること、人間が老いるということを、感情による事実認識の連鎖の歪さの尊い連なりであると感じさせることです。非常にストレートにそれを訴えてくる。その訴求のために必要最小限な設定のディティールが描かれるのみで、81歳の男性と47歳の女性と27歳の男性という3人のみのコミュニケーションだけで描ききる純度の高いドラマ。その魅力に一時心を奪われました。やっぱり山田太一のドラマは私の人格形成に大きく影響するコンテンツです。
遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

「天下御免」1971〜1972

日本の各家庭にテレビ受像機が本格普及したのは1960年頃から。敗戦の傷跡を乗り越えた新時代を実感させる2つの国民的イベント、皇太子御婚礼と東京オリンピックが普及の追い風でした。1970年の日本万国博覧会の頃にはカラー化が大きく進み、現在のTV番組のバリエーションは殆どできあがっていたと言えるでしょう。ちょうどその頃、TVドラマの世界で生じたコンセプトのひとつが“脱ドラマ”でした。そう呼ばれる作品群のひとつに数えられてもよいだろう傑作のひとつが「天下御免」。金曜夜8時の時間帯で1年間放送されたNHKドラマでした。

天下御免〈1〉 (早坂暁コレクション)

天下御免〈1〉 (早坂暁コレクション)

江戸に出てきた若き平賀源内を主人公に、歴史上の実在人物と架空の面白キャラを絡み合わせた虚実皮膜の軽妙快活時代劇。江戸時代の史実を縦軸に、昭和の高度成長期の社会矛盾への問題提起を横軸として、ギャグからシリアスまで描写の幅が非常に広い作劇と演出が印象的でした。スタジオにてビデオ収録する時代劇でありながら時には現代のリアル映像をインサートし、当時の都知事まで出演させる大胆さで、ドラマと報道とバラエティの垣根を越えながら描いて行こう、だってそれがTVメディアの武器なのだからという気概が感じられました。いろんな見解はあるでしょうが、例えばそういう感覚が“脱ドラマ”と呼ばれた運動だったと思います。

主役の平賀源内(山口崇)は、文理を修め偏見のない合理的思考で社会に切り込む行動派の貧乏学者として描かれます。そこに鼠小僧を気取った稲葉小僧(秋野大作)、若きオールドタイプ侍、小野右京之介(林隆三)、杉田玄白坂本九)らがチームを組み、享保時代の江戸庶民の日常から社会矛盾と向き合い、時には田沼意次仲谷昇)の政治の在り様にも一矢報いたりといった葛藤が描かれる。当時小学生だった自分にとって、日本史バラエティ的な楽しさでわくわく観ていたことを思い出します。挿入歌だって諳んじてますもの。
個人的には近代化の兆しの中、旧来の武士道モラルにこだわる右京之介のキャラが大好きでした。演ずる林隆三のもつ優しい不良性も好感を増幅させたのですが、学問の進取に興味はなく古い時代のモラルを抱えるキャラながら、若者らしい素直な感性で源内や玄白と同様に社会問題に切り込んでいく存在が印象深くもありました。
メインライターは早坂暁氏。この歴史バラエティ的な作劇は粗削りながら完成度高く、視聴率的にも大成功でした。当時私はこれを観てたので「太陽にほえろ」のショーケンをオンタイムで観てません。5年後に早坂暁脚本で「必殺からくり人」が放映され、本作と同じスタンスの作劇が味わえたことも愉しい記憶です。本当に面白かった。
でも当時、放送用ビデオテープは高価な素材だったこともあり、NHKも保存録画は行っておらず現存するオフィシャルな番組映像は皆無。信じがたいことですが当時としては自然なことです。TV映画ならフィルムが存在する訳ですが、電磁信号でしかないビデオは上書きされた時点で消去消滅してしまいます。現在放送ライブラリーに保存公開されているものは、主演の山口崇氏が個人的に収録した第一話と最終話の一部。ネット上では個人的な収録の発掘を呼びかける声が結構ありますが、家庭用ビデオの一般普及は1980年頃からですのでまず難しい。残念ですが残像はオンタイムで観た人間の脳内にのみあり、です。

TVドラマの作劇と描写のあり方は、映画のエピゴーネンとして始まりました。画面サイズも画質も映画に劣るTVドラマは映画の劣化版的代替物との認識だったのです。しかも、1980年代までTVは一家に1台ものの家電だったことから、家族みんなで視聴するという特性がありました。加えてCMによる描写中断やチャンネルザッピングという特性も絡み合い、この独特の映像メディアでどう物語るかの手法・作法は新進の創作者たちによって世界中で模索されます。
「劇場映画が本道で、TVドラマはワンランク下」そう呼ばれた時代がありました。しかし、だからこそ新しいコンテンツのスタイルが実験できる創造できると意気込むクリエイターたちの格闘が始まったのです。それが1960年頃から1970年代、例えばヒチコック、チャエフスキー、リンク&レヴィンソン、木下恵介和田勉今野勉etc…、多くの才能がTV独特のドラマ可能性を追及しました。その流れの中に、いわゆる“脱ドラマ”もあったのです。
天下御免」という不思議なTV時代劇は、その試みの楽しい成功例だったと思います。本作の作者たち演者たちには、そういう新しい面白さを創ろうという熱気が明らかあり、それはオンタイムで視聴した小学生にも伝わりました。私の中に映像コンテンツを面白がる基準を作ってくれた作品のひとつが本作です。
さて、当時夢の技術と語られていたハイビジョンTVは一般家庭に普及、大画面化も高画質化も進みました。個人視聴スタイルも大幅に増え、さらにはTVCMの視聴率を軸にした民間放送ビジネスモデルが凋落の一途を辿っています。一方ではウェブとTVとモバイル情報端末は渾然一体となっており、映像メディアの在り方はこれからの10年で大きく変化します。2010年代の創作者たちが生み出す新たな“脱ドラマ”とはどういうものか期待したいところですが、果たして現在のドラマ・映画業界にその気構えはあるのでしょうか?

「幸福」1980

8月21日、俳優竹脇無我氏が亡くなりました。70年代のTVドラマ黄金期には清潔で知的な二枚目として活躍されていて、私たちの世代には本当になじみ深かった。奇しくも名脚本家向田邦子氏の急逝は30年前の8月22日。竹脇氏は向田ドラマの常連のひとりでもあり、人間の縁というものでしょうか。合掌。
この二人が組んだ代表作のひとつが「幸福」。TBS金曜ドラマ枠で13回連続。同年に同名の短編小説としても発表されていて、ドラマ執筆時に並行して記されたのでしょう。私は近年TVドラマを殆ど観ません。理由はつまらないからです(勿論嬉しい例外もたまにはありますが)。1970年代から80年代前半頃、日本のTVドラマ・TV映画は現在とは別格の高品質な黄金期。私は幸運にも感受性豊かな時期に、その頃の珠玉のコンテンツをいくつも体験できました。その中の代表的な作品がこれ。

幸福―向田邦子シナリオ集〈3〉 (岩波現代文庫)

幸福―向田邦子シナリオ集〈3〉 (岩波現代文庫)

このシナリオを幾度読んだことでしょう。初放映時の記憶しかありませんが、読むたびに全てのセリフに当時の俳優たちの口調と息遣いが蘇ります。物語の設定は本当に地味な人情劇でしかありません。風采の上がらない工員と年の離れた妹と、その工員を愛するもう若いとは言えない対照的な性格の姉妹。そこに姉妹の老父の奔放さ、姉に惹かれる男たち、主人公の工員の生き方を否定する企業人の兄が絡む。ジャンル的にはホームドラマの類型に当てはまるかもしれません。表面だけを眺めればよくあるラブストーリー。ただこのドラマ、人間の「性と幸福」をテーマとして強烈なものを魅せてくれます。エグい程に感情の内面をあぶり出す名場面のオンパレード。少々不格好でもその圧倒的な表現力に感嘆させられます。よくぞこんな場面、こんなセリフを書けるものです。向田邦子は本作放映の翌年に飛行機事故に巻き込まれる訳で、今から思えば才人がその晩年に力量を結晶化したかのようです。

優柔不断で万事いい加減ながら心の中に清冽な情念を抱く主人公:数夫を竹脇無我。彼を不器用にも一生懸命全身で愛そうとする素子に中田喜子。数夫の兄に捨てられた過去があるものの、心の底で数夫を思い続ける素子の姉:組子に岸恵子。組子に惚れて自分の店のママに据えているオーナー八木沢に津川雅彦。厳格な校長職を終えたあとで性に奔放になって家出していた組子・素子の老父に笠智衆。数夫の生き方に対立し、組子と数夫が愛し合う局面を結果的に作り出した兄:太一郎に山崎務。彼らの秘めた性愛を軸にした葛藤を見つめて成長していく数夫の妹:踏子に岸本加世子。・・・何とも贅沢極まりないキャスティング。それでいてこんな地味でエグい人間臭いドラマが全国ネット民放ドラマで放映されていたのです。
竹脇演ずる主人公を寡黙な男に設定しているため、語り部というか狂言回し的なポジションを津川雅彦が演じているのですが、これが絶品。大半の名台詞が彼のセリフとして記されている上に、この頃は名優というより怪優だった津川氏の口調とテンポに酔わされます。それだけでも見どころなのに、笠氏、山崎務氏、大女優岸恵子の存在感まで後押ししてきます。こんな連続ドラマは二度と再現できません。
幸福 [DVD]

幸福 [DVD]

人間の幸福感は、ある部分性をめぐる情感に大きく左右されます。その真実について、丁寧に人生の断面を掬い取っていくところに、向田邦子のテーマがありました。本作はそれが粒だった代表作として紛れもないものでしょう。
「胸に、一粒の真珠を抱いていたればこそ――小汚い作業服も、油臭い手も、安い月給も、地位も肩書もない、いまの暮らしも、あんた平気だったんだよ」これは津川演ずる八木沢の第9話のセリフ。未見の方は当然わからないわけですが、このセリフが記されているシチュエーションのエッジの立ち方は半端ではありません。一生に一度、こんな場面を創作できたら悔いはないと思えます。
向田邦子没後30年に竹脇無我も世を去りました。あの頃の“旬の味”を知っている世代なりに、その本質を、作家や演者の魂のようなもの受け継いでいきたいものです。

「モールス(LET ME IN)」2010

オリジナルであるスウェーデン映画「ぼくのエリ」2008は断片的にしか見ていませんが、このハリウッドリメイク版は今年の初めから公開を心待ちにしていました。米国の興行成果が振るわなかったそうで、今を時めくクロエ・モレッツ主演ながら都内でも上映館が非常に少ない扱いです。さて、私は十分に愉しめましたし評価できる作品になっていました。「クローバーフィールド」で非凡な才能を発揮したマット・リーヴス監督の腕前が感じられる秀作です。

内気で傷つきやすい思春期の少年。隣家に引っ越してきた謎めいた美少女。雪深く閉鎖的な街と人々。少年期の淡い初恋物語に定番の設定です。そこにヴァンパイア・ホラーをミックスした物語。立て続けに制作されたスウェーデン版・米国版の2本の映画は、主人公二人の交流に描写を絞っており、大枠として同じ構成といえるでしょう。それでも細部の描きこみにはそれぞれの事情と判断による変更が加えられていて、鑑賞後に心の底に残るものの印象が微妙に異なるバリエーションになっていました。

英語版シナリオに目を通しましたが、マット・リーヴスの構成力の堅実さに感心しました。オリジナル版が先行作品としてあるにせよ、娯楽映画の王道の構成を軸にした上で主人公である少年少女の感情の切なさ、醸し出す抒情を最大化しています。さらに注目は、最終稿にあったドラマ後半の説明的な描写を、潔く削除して編集している点。原作やオリジナルのファンには物足らなさに映るかもしれませんが、私はこの方が好き。物語の抒情性を純化する方向に働いていると思うからです(詳細の記述はネタバレになりますので割愛します)。
そういう編集上の判断を支えたのは、明らかに主演2人の存在感と表現力。クロエ・グレース・モレッツもコディ・スミット‐マクフィーも本当に素晴らしい。シナリオでも二人のセリフの量は少ないものです。二人は微妙な表情と佇まいで心理的ドラマを最初から最後まで支え切っています。

この映画、いわゆる“純愛物語”という惹句です。それは間違いないのですが、表面的なコメントに過ぎません。幼い恋心はエゴイズムに根ざしがちという点を本作はきちんと描いてくれていまして、実はここが結構シビアな残酷さを伴って感動を残すわけです。ところがそこは具体的な説明描写が思い切り省略されていますので、一見同じように感動した鑑賞者の間にもその受け止め方には差異があるだろうと思います。例えば本作のヒロインは、本当に少年を愛しているのでしょうか? ここが曖昧に突き放されているからこそ、本作の抒情性はべたついた甘さに堕さず、硬質で怜悧な彩りを纏うのです。ここに作者の非凡があると思っています。

江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男 (光文社文庫)

江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男 (光文社文庫)

この映画から想起した日本のコンテンツ、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」です。
物語の具体性はまったく異なりますが、主人公の少年(「押絵…」では男)が抱く純愛の性質は共通します。極論してしまえば、これらに描かれる少年の恋心は、純粋なエゴに根ざしています。そのエゴは対象への奉仕に転化する訳ですが、彼らは決して対象のためにではなく、自らのために対象と共に旅することを選択する訳です。一方対象側の心情はどうでしょうか? 乱歩の短編は文字通り“押絵の女”でしかなく、そこに感情も思考も存在しません。では「モールス」ではどうか? ここがシナリオの秀逸な部分ですが、ヒロインはそこを一切語っていません。彼女の心情は、クロエ・モレッツの見事な演技に託されていますので、そこに不純を見取ることは難しい(演出の意図)。ただ、そこに生存のための打算が込められているかもしれず、そこを総合して判断するには、内気な12歳の少年はあまりに幼い、という残酷な物語も見えてくるわけです。ここに、映画「モールス」と乱歩の短編との共通項がしっかり浮かび上がってきます。・・・うーん、こんな感想を抱く洋画ファンがいるわけもありません。いささか筆が過ぎました。
MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)

MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)

[TV]「必殺必中仕事屋稼業」1975

以前から観たいと思っていた「キック・アス」2010、予備知識をあまり仕入れず鑑賞。奇妙なバランスの面白い映画でしたが、途中から「これは“必殺シリーズ”のプロットではないか」という考えが頭の中を占有してしまいました。

悶々と平凡な日常を過ごす高校生が仮面のヒーローとして身近に存在する悪と暴力に立ち向かう筋と、巨悪への復讐を宿命として背負った親子がこれまた闇の世界で闘う筋を絡み合わせたユニークなプロット。若者は素人、親子は玄人。「キック・アス」は、その交錯がクライマックスを熱くするという娯楽アクションの王道ではあります。私はアメコミの世界には馴染めないもので、ハリウッド発のこの種の物語にあまり関心はありません。クロエ・モレッツのヒットガールを観るだけで十分面白い映画だと思いますが、これはもう国民性の違いでしょう、積極的に愛好するには至りませんでした。
ということで、日本にも類似の物語を描いたコンテンツはありまして、例えばかつて一時代を築いた“必殺シリーズ”なるTV映画シリーズがありました。一般に世間的人気が高まったのは1980年代の「必殺仕事人シリーズ」を軸とする流れで、これはファンの間で“後期必殺”と呼ばれます。私が非常に惹かれて止まなかったのが1970年代の“前期必殺”でして、この時期のものはどれも高く評価されてしかるべきTV映画だったと思います。その中で、「キック・アス」から連想されたのが1975年に放映された「必殺必中仕事屋稼業」でした(因みに私は両者のプロットが同じと申しているのではありません。エッセンスが似ていると思った次第です)。

必殺シリーズ”のフォーマットは、闇の世界で報酬をもらって法で裁けぬ悪を制裁する殺し屋たちの物語。リアルなドラマというより、“大人のマンガ”風の個性的な娯楽時代劇を目指して制作されました。当時邦画界は斜陽不況の真っただ中で、手間暇のかかる劇場版時代劇映画は激減していました。ならば低予算のTVシリーズに活路を見出そうと、凋落が始まっていた京都の撮影所において若いスタッフが知恵を絞って創作した作品群のひとつです。中でも刺激の強い設定とビジュアルが受け、必殺シリーズはヒットコンテンツとして育っていきます。「必殺必中仕事屋稼業」はその5作目。いろんな試行錯誤を行っていた作品です。
この前期必殺シリーズ、私が思春期に大いに影響されたコンテンツなのですが、中でも記憶に残るのがこの「仕事屋稼業」でした。この作品、実は他のシリーズと大きく異なるキャラクター設定がなされています。後に“仕事人”というマンガチックなイメージが世に定着する“殺しのプロフェッショナル”という特異なスキルの持ち主としての主人公が、本作にはいないのです。例えば緒形拳が演じた半兵衛は博打好きな蕎麦屋のおやじ、林隆三が演じた政吉は博打好きの遊び人。彼らはヒロイックなアクションとはまったく無縁の人生を生きる平凡な市井の男たちでした。それが物語の本筋に引き込まれるなかで、殺しを含む“仕事”という稼業に自分を賭していくプロットが鮮明に描かれました。

本作の全26話、今では一般地上波で再放送されることもありません。非常に優れた作品なので、鑑賞機会が少ないことを残念に思います。さて、前述のように、米国市民にとって、人知れず悪を倒すという大人のマンガはまさにアメコミヒーローの物語です。一方日本人にとってこの種の物語は時代劇ヒーローに込められます。プロットは似ていても、その描写の風合いはまったく異なっていると思います。私が「キック・アス」でそれを痛感したのが、主人公たちが殺しを行う重みや痛みをどう自分に背負わせるか、という一点です。「キック・アス」をご覧の方はお気づきのように、主人公の若者たちはそこにまったくこだわりません。悪人の命を奪うというアクションの必然性は物語にある訳ですが、それでも平凡な市井人がそれを実行する際には、何らか引き換えにするものがあると(日本人は)感じる訳です。それがいかにマンガチックな設定であっても。そこが無かった。潔いくらい全くありません。
この点で「仕事屋稼業」というシリーズは、半兵衛・政吉という市井人が、殺しに手を染めていくことで得るもの失うものを全話を通じて様々な角度から描写していく一貫性を持っていました。それが独特の情緒を生み、たかがTVの娯楽時代劇ながら、私に強い影響を残してくれました。このあたり、日米の娯楽アクションに込める情緒性の違いとして、個人的には興味深いものがありました。