「イタリア旅行」1953

kaoru11072007-12-16

ロンドン在住のアレクサンダーと妻のキャサリン。二人は別荘売却の商談のため、観光を兼ねてナポリを訪ねる。経済的には困らないアッパークラスだが、結婚後8年で子どもはなく、所謂“倦怠期”。ナポリ、カプリ、ボンベイと、イタリアの名所旧跡に滞在しながら二人の言葉は噛み合わずぶつかり合う。別行動の果ての些細な行き違いから、互いに“離婚”という言葉に行き着いてしまうが、さて結末は・・・?
低予算でコンパクトにまとめられた“夫婦の危機”を描くラブストーリーの小品です。

主人公夫婦を演ずるはジョージ・サンダースとイングリッド・バーグマン。そして監督はロベルト・ロッセリーニ。云わずと知れたイタリアン・ネオリアリスモの巨匠。バーグマンがハリウッドと家庭を捨ててロッセリーニのもとに走って約7年後の作品だと思います。

本作撮影時までに二人の間にはイザベラを含む3人の子どもがいました。それを除けば主人公夫婦に重なり合う何かがあったのだろうと思います。ロッセリーニは新たな妻バーグマンを主役に本作を含む6本を製作しますが、いずれも興行的に失敗。批評でも貶められ、二人は追い詰められて行きました。1953年当時、二人の破局はほぼ決定していたはず。

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この「イタリア旅行」、確かに名作傑作とまでは言えません。前述のストーリーラインと夫婦の対立とすれ違いがステロタイプで提示され、最後まで予想の範囲内で進んでしまいます。若さを失いつつある時期の男女の心情の振れ幅と奥深さが今ひとつ描写しきれず、観客の心の中に何かを刻み付けるところまで届かないのです。そこは残念。

しかし、本作には不思議な迫力が存在します。それは確かです。
敗戦直後の荒廃したローマの街と実在の市民の姿を即興シナリオでロッセリーニが捉えた「無防備都市」1945「戦火のかなた」1946とは被写体が異なれど、本作も基本的に同じ方法論で演出されています。徹底したロケーション主義。サンダースとバーグマンが、或いはバーグマン独りが車で移動する際、カメラはバーグマンのアップのみならず、当時のナポリの街角と市井の人々の日常の姿を常に捉え続けます。同時に、バーグマンが倦怠を紛らわせに見物を重ねる博物館や遺跡の数々の光景を常に背景に据え続けます。その空気感がもたらす不思議な感覚と迫力。

事前にきっちりと構築した脚本がないことで、主人公たちの人物描写が浅くなってしまったことは弱点ですが、そもそも監督の狙いは妻役のバーグマンの心象風景として遺跡の描写を強調し、風景をして心情の動きを語らせるものだったはずです。それはラストの二つのクライマックス描写で明らかになりますが、私はそのひとつは成功し、ひとつは失敗したように思えてなりません。まあ、それは兎も角。「戦火のかなた」等とは全く異なるモチーフながら、実風景のリアリズムが登場人物の心情とテーマを浮き彫りにするという映画手法は不変であったということです。それは凄いことです。その面白さはきちんと本作に存在します。
ボンベイの遺跡発掘現場で描写されるものの不思議な迫力。人生の儚さと残酷さをその映像に込めてバーグマンの心情変化に託していく演出の強引さ、豪快さ。戦後イタリアのネオリアリスモとハリウッドのスターシステムの融合実験のようで、奇妙な味わいの面白さを私は感じていました。

1959年にゴダールが製作した「勝手にしやがれ」は、本作にインスパイアされたと言います。ゴダール本人がそう言っています(笑)。移動する車と車外風景の描写はまさに同じ匂い。ゴダールはそれに“ジャンプ・カット”を導入して革命を起こす訳ですが。そんな再評価もまた興味深いです。

そして何よりも、バーグマンという大いなる女優がいなければ本作も存在しない訳です。彼女の人生についてはもう語り尽くされていますので、ここで何か記すこともありません。ここまで美しく、ここまで自分の思いに正直に行動し抜いた女性。紆余曲折と毀誉褒貶の果てに、それでも数々の名作を残し続けた力量と運命は、今後何年経過しても、多くの映画愛好者の関心を惹き続けることでしょう。