「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」1975

“寅さん”全作で、最も好きな作品がこれ。あまりにも語りつくされたこのシリーズで、おそらく頂点に位置している出来栄え。そう確信します。

今更ストーリーを云々する必要もありませんし、このシリーズの妙味を語る気もありません。ただ、映画が制作されるにあたって生じた様々な因果が素晴らしい偶然と必然で折り重なった結晶の90分なのだと思います。
山田洋次や高羽哲夫ら主要スタッフの才能の高揚や実務の熟練。渥美清倍賞千恵子浅丘ルリ子船越英二ら演者の若さと円熟が調和する旬の感覚。興行の要請による連作の惰性がもたらした弛緩と緊張、等々…。数え上げればキリがない程の偶然と必然が、この作品に映画の神様を宿らせたとまでは言いすぎでしょうか。
山田監督に、潤沢な予算と時間を与えて同じような品質の映画を撮ってくださいとお願いしても、再現はまず不可能。きっと監督自身の目算や見通しを凌駕する何かが完成作にもたらされていたはずです。

本作の寅さん、さくら、リリーのアップは本当に美しく、楽しげで、哀感に溢れています。役者の“旬”とはまさにこの時期であったのでしょう。役者の肉体と錬度の旬に、シリーズ15作目ゆえに作りこまれたキャラクター設定の深みと味わいが、この時に出会うしかないドンピシャのシナリオになって手渡されている。これより早くてもいけない、これより遅くてもいけない。

たまたま思いがけないヒット作になり、松竹映画の盆暮れ興行を支えよと義務付けられた忙しさの中、じっくりと熟慮熟考しながら作った作品であるとは思えない。様々な妥協ややっつけ仕事も沢山あったことでしょう。でも、それらのいい加減さも、意図せざる魅力になって完成度に貢献している。そんな映画を観る幸せを味わうことができます。

人間、もっとも力の充実した時期は、もっとも多忙な時期でもあります。
もっとゆとりがあれば、と願わなくもありません。しかし、そんな多忙な中の妥協の産物であっても、素晴らしい光を生み出すことはできるのだと、すべての働く者を激励するかのような寅さん映画の最高峰。私の大好きな映画の一本です。