「BOY A」2008

ノーマークで見落としていた英映画の小品。しかし観るべき価値のある佳作。“少年A”とのタイトルが示すとおり本作のモチーフは少年犯罪。それも“更正”を真正面から捉えてみせた。重いテーマながら観客の関心をラストまで引っ張る語り口と出演者の演技が見事。
10代初めに犯した殺人のため14年間収監されていた主人公の少年。ジャックと名を変え見知らぬ街で再出発を期す。人格者の保護司に恵まれ仕事にも就き、同僚とも友情が育まれる。やがて恋人の存在も。過去への悔恨と目に見えない怯えと怖れを抱きながらも、生まれ変わった人生が少しずつ芽生えていく。しかし、“悪魔のような少年”と称された過去の罪は、やはり彼を追いかけてくる・・・。

写真はすべて© Cuba Pictures (Boy A) Limited 2007
ジャックは本質的に心優しい性分にあることが、物語の要所で描かれる。つまり観客の感情移入を容易にします。この設定を外す作品も可能だと思いますが、本作はジャックへの共感から物語を立ち上げる。しかし、“悪魔のような”少年犯罪を見聞した“世間”には、メディアを通じて知りえた少年の人物像がすべて。同年代の少女を惨殺した事実がすべて。結局、少年Aの本来的人格がどうであれ、その生育環境に多少の恵まれなさがあったにせよ、世間には所詮“悪魔の少年”でしかない。それをこの映画は見据えます。その世間認知は彼の人生に関わる人間たちの認知にも影響せざるを得ない、という社会の真実。それこそが、ジャックの背負った罰であると伝えるラスト15分でした。

私はあらゆる少年犯罪の背景に児童虐待の影響を唱えるものの見方が好きではありません。勿論、そのようなケースも少なくないでしょう。しかし、加害者は全て被害者であるとして、その罪を相対化する考え方には同調できません。そもそも人間は何らかの形で恵まれなさを背負っており、その不条理こそが人生論の本質です。犯罪に踏み込んだ少年たちだけが過酷なのではない、と考えるのが私の立場です。本作も虐待と少年犯罪の因果律を背景に置きますが、映画という視覚芸術ゆえにその思想性からかなり自由になっています。
例えば、ジャックが交通事故から救った少女から送られた感謝の手紙。そこに描かれたナイフを持った天使の絵が、14年前の悲劇のビジュアルをトレースするという偶然の皮肉は象徴的です。つまりは、他者の生命を勝手に絶つという理不尽な暴力の境界線を踏み越えるには、その重さをどこかで引き受けバランスせざるを得ないという真実を垣間見せます。ジャックがラストで直面する絶望は、やはり14年前にある少女が直面した絶望と、具体的には異なれど同じ重量を有しているはずなのです。

天使と悪魔は常に表裏一体。そのボーダーラインの平均台を歩き続けるのが人生かもしれません。15年ほどまえに我が国でも好奇と戦慄を枕詞に語られ続けた神戸発の少年犯罪がありました。当時の少年も、それなりの年齢の男として再出発を始めた頃だと思います。本作が描く罪と罰は、決して異国の物語ではありません。

BOY A [DVD]

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