「スペル」2009

私は元来ホラー映画を鑑賞しない。スプラッターなどもってのほかで、怖い映画は避けまくっている。これはもう生理的な反応なので致し方がない。もっとも、残虐描写が少ないショッカーであれば大丈夫なので、ジョン・カーペンターの「ハロウィン」1978が私にとっての水準器になっている。あのレベルまではOK。しかしCG全盛になってどんな人体破壊描写も自由自在になってしまってはもうお手上げ。だから最近は殆ど怖い映画は無理。昨年の「ミスト」が限界点だ(あれはホラーとは言わないか…)。そんな私でも、面白さが勝っている予感があればそそられる訳で、サム・ライミの新作「スペル」には食いついてしまった。

通常、劇場の前方に着席する私が、やや後方に座りいつでも画面から視線をズラせるようにして観る。そりゃコワイの何の。料金を払って怖がりたい方が損することはない。だから、途中で入館したことを数回は後悔した。しかし、さすがはサム・ライミ。この人は単純に気持ち悪いとか、単純にコワイとかだけじゃない。グロテスクなシーンにどこかコミカルさを内包しているのが、私のようなホラー音痴にもちゃんと伝わってくる。そんな知性と余裕が感じられるのだ。だから本作も、十分怖いのに観てる側のダメージは意外と小さかったりする。
そう、描かれるショックが、物語の人物描写としっかり連携していて単純なグロに堕していない。末梢神経がビクつくのは当然ながら、ちゃんと中枢神経を“文学的に”刺激しているのだ。だから、こういう表現は適切じゃないのかもしれないが“品性”を感じてしまうのだ。観てられない程に怖がらされていながら何ということだ。作者にしっかり踊らされてしまった。まあそれも映画を観る快感のひとつではある。

写真はすべて(C) 2009 Curse Productions,LLC
若くて向上心溢れる女性銀行員クリスティン(アリソン・ローマン)は、窓口に来たジプシー風の老婆(ローナ・レイヴァー)のローン返済延長申請を却下した。それはビジネスの日常としてまったく普通のやりとりだったのだが、老婆はクリスティンを逆恨みして帰宅途中に襲い掛かる。事件はそれで終わったかに思えたが、その日からクリスティンは信じられないような呪いに恐怖することになる。そして…
この老婆の襲い掛かるショックシーンの断片がTVCFでもオンエアされていて、それだけでもうインパクト十分なのだし、映画史上最悪の“逆恨み”描写であることは世界中が認めるはず。しかし本作で感心するのは、ヒロインであるクリスの人物設定の素晴らしさだ。この映画の彼女は(役者の演技を含めて)本当に素晴らしい。日常のほんの僅かな落とし穴にはまったように、驚愕の理不尽に振り回される1時間半なのだけれど、その間に私たち観客には、彼女の青春の軌跡と心情が手にとるように理解できる。これは容易な手腕ではない、と思う。彼女への感情移入がちゃんとできるから、後半のクライマックス、さらには見事にひねりの効いたエンディングまで観客は非常に複雑な思いを抱えて演出家の手のひらで転がされることになる。ホラー嫌いだけど、ここまで見事な料理を出されたら拍手してしまう。

結局、上質なホラーというものは、小説でも映画でも、人間社会に生きることの中に潜んでいる小さな悪夢を拡大してみせるものである。そこにはある種の真実があり、私たちが大事に守っている良識や常識への皮肉が込められる。この映画のヒロインが直面する理不尽は、ショック描写の刺激を取り除けば決して絵空事ではないと思わせられるのだ。そこがこの映画の厚みであり、ただのショッカーではない質感である。