「世界大戦争」1961

kaoru11072007-02-10

1961年、私の生まれた年は東西冷戦の真っ只中。終戦からもう16年、されど未だ16年。翌年にはキューバ危機が世界を震撼させた訳で、核戦争が身近な恐怖として自覚されていた年の映画です。

30年くらい前はよくTVでも放映されたので断片的にご覧になった方も多いでしょう。私もそのくちですが、DVDで改めて完全版を観ました(TSUTAYAにレンタル出てます)。
弱点もあって手放しで名作と呼べないかもしれません。でも私は、日本と日本人が世界に誇りうる何本かの映画の中に、これを挙げます。

戦後の貧しさの中を一生懸命に働きぬいてきた運転手一家のささやかな幸福が、勃発した第3次大戦の核戦争によって消滅してしまう物語。
アルマゲドンを扱った映画は海外にも沢山あります。最近はCGの進歩もあってバリエーションも増えました。かつては描写の限界もあって、舞台を限定してひねりを利かせたり、知的なコメディにしてみたりで、世界戦争の状況全体の描写は避けるのが常套手段でした。しかしこの作品は、臆面もなく正攻法で描きます。つまり、主人公の庶民生活を主軸に、政界の動きや各国の軍事衝突の状況まで捉えるスタイルなのです。
当時、円谷英二特技監督の技量が世界的に高評価だったとはいえ、ミニチュアワークでアルマゲドンを描写するのは無謀です。チープと呼ばれても仕方のない部分はあります。しかも、海外渡航が容易でなかった時代に、諸外国軍部を演ずる外国人俳優たちの演技は悲しいかな稚拙です。加えて、米ソ各国実名描写が憚られる情勢もあったのでしょう、国際情勢の説明が隔靴掻痒とならざるを得なかった限界もあります。
そうです。この正面切った描き方は、そもそも無茶なアプローチなのです。
しかし、いや、だからこそ、当時の日本民族の想いと願いが何の誤魔化しも格好つけもなく、気恥ずかしいくらい正直にフィルムに記されているのです。
こんな映画は珍しいと思います。

戦後16年、貧しさに歯を食いしばりながら一家を支えてきた主人公。経済成長の恩恵も少し見えてきた。無学な自分もこれから少しは生活を楽しんでも良いだろう。辛抱続きで神経痛を患う恋女房にも贅沢させてやりたい。戦中生まれの長女にいい青年の恋人ができた。誰にも恥ずかしくない披露宴を挙げさせてやる。戦後生まれの幼い長男は、自分が叶わなかった大学進学だ。東京の片隅の小さな我が家の地価も上がってきたし、株でささやかな蓄えもできた。これから幸せを味わう番だと思ってたのに、何故、今、俺たちが消滅しなきゃいけないんだ!?
フランキー堺が夕暮れの物干し場で想いを吐き出す台詞には、何度観ても胸を衝かれます。
この映画には、そんなピュアな平和への希求が詰め込まれています。人間の日々の営みの喜怒哀楽を断裂し圧殺する巨大な暴力=核戦争へのストレートな恐怖と怒りが溢れています。
庶民の思いもそうですが、日本政府の描写もそう。首相役の山村聡官房長官役の中村伸郎など、姓名すら設定のない役柄なのに、当時の国民から見た理想の政治家像を重厚に演じて見事。閣議シーンには胸が熱くさせられます。現在の閣僚方も一度この場面を見ていただきたいものです。

そうした様々な名場面の後、核弾頭を抱いたICBMが世界主要都市に降り注ぐラストシーンが訪れます。
CGもない時代の特撮映像。ミニチュアの陳腐さは百も承知です。ですが、この一連のカタストロフ描写は圧巻です。CGを見慣れた目にも、その悪夢のような描写はもの凄いものがあります。クリエイティブとはテクノロジーのみに依存するのではないことが理解できます。天才映像作家だった円谷英二の怒りと悲しみが焼付いています。
その破局描写と並行して、初老の船乗りを演ずる笠智衆の台詞が続きます。やがて画面外からかぶさってくる子どもらが歌う「お正月」のメロディー。ぜひ観て聞いていただきたいと思います。
監督は松林宗恵。「社長シリーズ」や「太平洋の嵐」「連合艦隊」で有名な東宝の所謂職人監督のおひとりです。この方は海軍従軍経験もありますが、まぎれもない仏門の僧侶でもあります。それ故にこの作品には無常観が込められているのでしょう。ベタつくことなく淡々と痛切さを描き出されています。監督の最高峰の成果だと思います。

私は憲法9条が絶対的なものとは思いませんし、日米安保の傘の下にある現実をちゃんと捉えないものの見方が好きではありません。平和という言葉さえ唱えていれば平和が維持できるとも思いません。ですが、この映画に込められた日本民族の切実な、血を吐くような願いをないがしろにしてはならないと強く強く思います。絶対に受け継いでいかなければなりません。
映画の中盤にこんな台詞があります。「世界で初めて戦闘に火薬が用いられたのは元寇で、その洗礼を初めて受けたのは日本人。やがて広島長崎で原爆を、ビキニ環礁で水爆の洗礼を経験した我々は、世界に伝えねばならないメッセージがある」と。