「豚と軍艦」1960

kaoru11072007-12-05


いかに巨匠、名匠といえど肌の合わない監督・作家というのはいるもので、私にとって故今村昌平監督とはまさにそういうお方でした。唯一リアルタイムで観た「復讐するは我にあり」1979の重厚さと壮絶さに素直な感動を憶えた他は、なかなかその作品世界に入り込みづらく、劇場の入り口で引返すような感覚を引き摺ってきたのでした。
それはきっと、私自身の精神の成熟が遅れていたということなのです。どんな美味しい料理、食材も、その真の旨味を味わうだけの体力や経験というものがあるのです。私にとって今村作品のアクの強さは、そういうものと言えるのです。いや、弱みを晒してしまいました。

「豚と軍艦」は今村作品群の中で比較的初期の作品です。その根強い評価の高さがずっと気になっていました。
今村氏自身の表現である“重喜劇”。まさにその造語が似つかわしい質量と軽妙さを併せ持つ、独特の味わいでした。確かに凄い作品。いかに肌合いが異なっていても、優れた創作は誰の目にも明らかです。

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1960年の横須賀、経済成長の果実は未だ市民生活を潤していない時代。米軍基地と駐留米兵に寄生するようにして生きる人間たちの群像劇。ストーリーを記すことにさしたる意味は感じません。まさに群像劇。ある者は欲深く、ある者は小器用に、またある者は愚かに情けなく、それでも滑稽なほど必死に生きようともがいている人間をひたすら活写する映画。見事に面白い。これは記憶に深く残る作品です。

底辺に生きる男たち、女たちが主役。
人は良いのにいつも楽な方へ安易な方へと流されるうちに追い詰められてしまうチンピラ欣太を演じた長門裕之の軽妙さ。この名優は役柄の感情をうまく表情に乗せるのが本当に上手いです。役者としてはサラブレッドなのに、場末のトイレに倒れこむ哀れさ滑稽さが素晴らしい。「勝手にしやがれ」のベルモントより、私にはこっちがピッタリ来ます。
自分がガンで死期が迫ってると思い込んでいるヤクザの兄貴演ずる丹波哲郎。このひとは演技賞らしきものに縁がなかったのですが、そんな枠に収まらないスケールのでかさ。凄みと諧謔味を併せ持っているくせに二枚目を決め込むこともできる。大好きな俳優です。もうこんな人は出ないでしょうね。

そして、そして。何と言っても本作一番の出色は、吉村実子の存在に尽きると思います。駄目男の欣太を慕う春子を演じた吉村実子。今村監督自らスカウトして主演女優に抜擢したこの年、何と彼女は高校二年生。もの凄い存在感。
貧しく好ましくない環境の中で翻弄されながら、まっとうで地道な暮らしへの自立を願い、地に足の着いた夢を目指す女の子。米兵に乱暴されても自らを見失うことなく、若き逞しさを発揮して颯爽と歩いていくヒロイン像に、ぴったりの女優。その目の確かさをもって今村監督は名匠足りえたと不遜にも思います。それほどに本作の彼女は素晴らしい。
決して美形とは言わないけれど、その可愛さ、健気さ、エネルギッシュでセクシーな魅力。どんなに泥にまみれても一貫した清潔さがあって・・・。最も好きな女優ランキングにきっちり入ってきます。大好きです。

吉村実子をリアルタイムで観たのは、1980年のNHKドラマ。故向田邦子の名作「あ・うん」のヒロイン。確か長く女優休業した後、久々に画面に復帰したと話題になっていたことを憶えています。
このドラマでは、フランキー堺の夫との間に岸本加世子の娘を持つ妻の役柄でした。杉浦直樹演ずる夫の親友から、深く静かな想いを寄せられていて、そのことを自覚しているようでいて、絶対に互いの関係を壊さない。想いを打ち明けることも触れ合うこともないのに、絶妙で深い男女の愛情の形を描いた名脚本のヒロインを、本当に見事に演じていた既に若くない彼女の名演は今でも網膜に焼き付いています。この「あ・うん」が映画化されたとき、ヒロインが冨司純子と聞いてがっかりしたのでした。


嗚呼、悪い癖で話がそれてしまいました。
そんなこんなはありますが、「豚と軍艦」は確かに邦画の傑作の一本でした。こうしていつも思います。食わず嫌いはやめなければなりません。